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自殺未遂の翌朝、また、考えられないことが起こった。

心はどこまでも透明で澄みきり、身体は空っぽの筒のよう。
呼吸が、身体の隅々まで入ってくる。
青空にむけてホームランを打ったかのよう。
カァ~ン!
「なんと、すがすがしく、気持ちがいいのだろう!」

マインド(思考)が止まって、心は何のしがらみもない。
「ああ、いい感じ。生きている!」

人に会っても、その人が嘘をついているのか、正直なのか、恐がっているのか、愛があるのか、はっきりと見える…恐ろしいくらい。
心はさらに鮮明になり、周りのすべてとつながり、一体となった。

今思うと、空っぽの筒のように感じたすばらしい体験は、
覚醒した大いなる自己の境地だったと思う。
生かされた命…もらった命を大事にしよう。

私は決して死なない、
私は決して自らの手で命を葬ることはしない、
と、心の深くに刻んだ。

今だと、23才のとき、友人の言葉に傷つき、孤立し、死を選んだメカニズムがよくわかる。
未熟な私は、親友に味方になってもらいたかったし、寄り添ってほしかったし、そばにいてほしかっただけ…。
しかし、そんなことを言うのはかっこ悪いし、弱く思われちゃうと思って、言えないでいる私がいた。
もし、あの時、理論武装して自分の正しさを主張するのではなく、自分の本当の正直さを伝えられていたなら…

正直な気持ちを伝えることは、弱いことではなく、強いこと!
そして、とてつもなく勇気がいる…。
あの時は、できなかったな…
自分の正直さを伝えるには、自分に自信を持ち、自立していることが必要。

この覚醒の大いなる自己体験は、「生きる」と決めただけでなく、本当の自分のあり方についても教えてくれた。
信じるものは、人ではなく、この内なる大いなる自己、すなわち自分自身である、と。

今も、あの時の覚醒の境地への探究は続いているんだよ。
そして、日常生活の中で、日々、心は死と再生を繰り返している。
何を手放し、何が生まれてくるのか、意識することで、大いなる自己に戻れるようになるよ。

人生とは、いつも、この大いなる自己とのかくれんぼやダンスのように思うよ。

絵とビジョンの力 
自死からの生還「命の叫び」6人展
2024年11月26日(火)~12月1日(日)